特別講義ー未来のデザインー アナログな私、デジタルな貴方 -中垣信夫の生きた時代

2017.7.10 第12回の講師の方は中垣信夫さんです。

本日の講義内での事例紹介、学びと自分なりの考えを以下にまとめました。

 

中垣信夫 / Nobuo Nakagaki

- グラフィックデザイナー、中垣デザイン事務所代表、ミームデザイン学校設立者

 

ー先生が体感してきた時代とデザインの変遷

講義内で頂いた資料とお話を時代の流れに沿って以下にまとめます。

1.1938年、葡萄園・ワイナリーの6人兄弟の四男として相模原市に生まれる。この時代の社会の情報は国が操作した(戦時中の為)新聞やラジオ、1週間遅れのニュース映画が主流であった。なので皆が無知な時代であった。

2.武蔵野美術大学卒業。大手広告代理店に就職するが、10日で退職。そして、1964年杉浦康平事務所に入る。杉浦先生は一番憧れていて尊敬している先生である。デザインはアメリカの雑誌の影響を受け、商業デザインが主流となる。盗作が横行している時代であった。また、活版印刷であったため文字に限りがあり、手書きでデザインをする時代であった。

3.1960年ヨーロッパ文化世界デザイン会議が日本で開催。デザインの社会性が注目されるようになり商業的なデザインからグラフィックデザインとして確立されていった。昭和一桁代のデザイナーが大活躍した時代。社会は家電の爆発的普及や農薬による栽培が始まる。そのことによって生活の洋風化や家族形態、食の変化が起きた。

4.杉浦先生宅に10年間居候して働いていたが、杉浦先生がウルム造形大学に招聘され生徒として同行する。1965年頃より、オフセット印刷が主流となり書体が大幅に増える。社会は家電の普及に伴い工場が増え自然環境の悪化や核家族化が進んだ。

5.1973年、独立。ドイツ行をきっかけに杉浦先生はアジア文化の良さを広げることに注力し、中垣先生はドイツの成熟した社会に感銘を受け、ヨーロッパスタイルでやっていこうと決意し、中垣デザイン事務所を設立した。それまでは、編集者、柘植屋、印刷屋、著者で直接会って現行のやりt利をしていたが、ファックスの登場により会う機会が減る。仁和で一緒にやっているという仲間意識も薄れてしまった。

6.1990〜2000年代にかけプロダクトデザインに変化が起きる。それまで形に個性があったものが、家電やTVのフラット化が進みデザインの顔の能面化が進む。また、大型チェーン店の登場により、今まであった地域の人間関係が崩れ始め、土地に残る人が減ってしまった。地域コミュニティの崩壊と地元商店街への打撃が生じる。

7.AIの登場。これにより人が思考することを放棄し、機械に仕事が奪われていくようになっていく。

 

ー講義からの学びと気づき

「発想する運動体が弱まれば、皆同じになってしまう(つまらない世の中に)」

人はどんどん新しいものや便利さを求めますが、一つ成功したものや流行に乗ることが多く画一的なってしまいがちだなと感じていました。先生のお話を聞いてもっと、多様性や個性を面白がる心や広がりを許容できる人になる事、そして自分がそれを生み出せるデザイナーになりたいと思いました。

「人間関係や友人を大切にし、皆で理想的な社会を作っていくという運動が必要」

お金よりも精神の共同体を大切にしなさいということでしたが、確かに今の社会繋がりが薄れていることが問題視されているにもかかわらず利益を優先しがちで人々に余裕がなくなっていると思います。でも、いつまでもそれではだめなんだと気づきました。難しいことですが1人1人が社会の問題に主体的に向き合うこと、考え続ける必要があると思いました。一人ではなかなかできないけれど様々な人との絆を大切にし取り組みたいと思います。

最後に、良いアイディアが出るようにするためどんどんノートに考えを書いて、知識を身に着け、面白ことができるデザイナーになるようにコツコツ取り組みます。

 

以上、中垣信夫さんの講義まとめでした。ありがとうございました。